バツイチだったノムさん。「女運があったとは思えない」とボヤキ節
野村の哲学ノート②
■失敗に終わった社長令嬢との結婚
1960年、私が25歳のときに、縁あって見合い結婚をすることになった。相手は、ある企業の社長令嬢だった。
実は当時、プロ野球の世界では社長令嬢と結婚することが流行っていた。プロ野球選手は生存競争が激しく、いつクビになるかわからない。引退後の不安を取り除く保険のようなものとして捉えられていたのだ。
しかし、この結婚が、私が女性で失敗する1つ目の出来事となった。
もともと社長令嬢と貧乏な母子家庭の次男とでは、あまりにも育ちが違いすぎた。それだけならまだしも、決定的になったのは妻の浮気だった。
結婚から数年経った頃、私が遠征で家を留守にする度に浮気しているらしいということがわかった。当時はお手伝いさんが2人いたのだが、彼女たちも知っていながら黙っていた。つまり、知らぬは亭主ばかりなりというわけだ。
それから私は、遠征で宿舎に泊まる以外は、知り合いの家で寝泊まりするようになった。私の気持ちの中では夫婦関係は完全に破綻していた。なのに離婚届へのサインを求めても、拒否され続けた。
これが離婚調停の長引く原因となった。
私生活でこうした揉め事が生じている中、1970年にはプレーイング・マネージャーという重責を担うことになった。私自身、公私ともに、精神的に余裕がなくなっていた時期でもあった。